日本の学校給食は熱い戦いだった話。
未知の文化、「給食」
小学校1~3年生まで台湾にいた僕は、給食というものを知らなかった。
毎日母の弁当だった。父と姉と僕3人分の弁当を3年間毎日作っていた母は、今考えるとすごいな。
台北日本人学校特有だと思うのだが、すぐ近所にあるマックのセットを頼んでいる人もいた。
マックの店員さんが台車に紙袋をたくさん積んで裏門から校内に入ってくる。
共働きの家庭の子がよく食べているのを羨ましがりながら見ていた。
ほぼ毎日マックの子なんかもいて、そういう子は弁当がとても羨ましいらしく、ポテトと弁当のおかずをよく交換していたりしたものだった。
大人になっても変わらないが、結局ないものねだりだ。
初めての給食と、狂気の「かずひこ」
3年間そんな昼食だったので、初めての給食は結構緊張したのを覚えている。
4年生になると同時に帰国し、小さい頃からの幼馴染のいるクラスに編入され、初めての給食で事件は起きた。
事件と思っていたのは僕だけだったのだろうが、なかなかのカルチャーショックだったのをよく覚えている。
給食には「おかわり」というシステムがある。
配膳された給食を全て平らげた者のみに与えられる権利、それが「おかわり」。
初めての給食のメイン「おおきなおかず」はスパゲティミートソースだった。
濃い味付けのトマトソースにゴロゴロの挽き肉がコシなんて言葉を知らない麺に絡む、給食界きっての人気メニューのひとつだ。
まるで短距離走のピストルのごとく教室に響いた「いただきます」の合図と共に、一気に給食を口へ運ぶおかわりファイター達。
さながら早食いフードバトルの戦場のようだった。
クラスで一番狂気と殺気に満ち溢れていた問題児、「かずひこ」が一番にミートソースの前に立つ。
彼は光悦な表情を浮かべ、後におかわりをしようとする者の事など一切考えず、残ったミートソースを全て自分の食器に乗せた。
その瞬間、とんでもない声量のブーイングが教室中に響き渡る。
「お前取りすぎだよ!!」「後の人の事考えろよ!!」
「バカかよ!!」「ふざけんなよ!!」「戻せよ!!!」
正論と誹謗中傷がかずひこへ突き刺さる。
彼は教室中から向けられた言葉に耐えきれず、声を上げて泣き始めてしまう。
しかし全てよそったミートソースは一切戻さない。
彼は泣きながら自分の席に付き、泣きながらミートソースを口いっぱいに頬張る。
あまりの狂気にかずひこの周りに詰め寄るおかわりファイター達。
ミートソースへの執念は、怒りへと変貌する。
「お前何考えてんだよ!!」「狂ってるだろ!!」
様々な罵声を浴びながらも、彼は尚も大泣きしながらミートソースを口へ運ぶ。
何がお前をそうまでさせるのか。ミートソースを口いっぱいにしないと死んでしまう呪いでも掛けられたのかと思ってしまうくらいに、とにかく泣きながら大盛りのミートソースを平らげる。
先生は呆れたように騒ぎを止めに入り、彼を諌め、ファイター達をなだめた。
かずひこの狂気にドン引きしながら一連の騒動は一応の落ち着きをみせた。
僕はとにかくビックリしすぎて食があまり進まなかった。同じミートソースを食べても「そこまでして食べたい味か…?」と疑問すら抱いた。
騒動直後周りを見渡したが、皆あまり気にしている様子は見受けられなかった。
これが日本の給食の日常なのか。狂っている。そう思った。
しかし郷に入ればなんちゃらで、一ヶ月後には自身もその戦いに身を置くことになるのだった。
会いたいわけではないが、消息が気になる旧友。
食育。日本のソウルフード、給食。
おかわりを通して後の人の事を考え思いやりを学ぶはずだったのに、彼はミートソースへの執着から教室を憎しみの渦へと誘った。
そんな彼はその後もクラスメイトとじゃれ合い気絶して泡を吹いたり、友人宅のストーブでジャンパーを溶かして号泣したり、エロゲマスターになっていたり、高校に入って暴走族に入ったと報告してきたり、やはりどこか狂った奴だった。
僕ら世代でSNSをしていない人間はなかなか希少だが、高校以降の彼の消息を知るものは誰もいない。
今彼はどこで何をしているのだろうか。
なんだかきなこ揚げパンとミートソースが食べたくなったな。
初めてお越しいただいた方、ここまでお読みくださりありがとうございます。
そして僕はこんな人間です。
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