こじらせ雑記

三十路チビデブ独身無職子供部屋おじさんはこれから人生をどう歩むのか。 好きな事、思った事をコンプレックスに乗せて吐き出します。

踏切を待っている時に飛び込もうか迷った話

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また自ら命を絶つ若い人が出てしまった。
今日はあまり振り返りたくない事を思い出そうと思う。

 

初めての正社員

池袋で仕事をしていた時、最終的に心療内科医に「自律神経失調症の一歩手前」だと言われた。
ジーパンを穿き、ARMYと書かれたTシャツの上に白衣を羽織った色黒の変なお医者さんだったな。

 

アルバイトを辞め、紹介予定派遣を経て、入社とともに新しい部署へ配属された。
アルバイト時代のお話はこちら。

tyome-tyome.hatenablog.com

 

直属の先輩は明るく楽しい人で、なんとなくやっていけそうだなと思った。

最初の一ヶ月間、先輩は

 

「俺のやる作業の流れを見てて。流れをちゃんと頭で理解してほしいから作業と話をしっかり聞いてて。メモはとらないで。」

 

と言った。え、メモもとっちゃダメなんだと思いつつも、深く考えず従った。
一ヶ月間、複雑なエクセルやファイルメーカーの作業を口頭で説明されながらひたすら眺め続けた。

 

2ヶ月目、先輩は「じゃあ一ヶ月前の作業をお前一人でやってみて。」と言ってきた。
困った。参考になるものがなにもない。先輩はもう何も教えてくれない。
一ヶ月前の事をなんとか思い出そうとするも、ポンコツな頭では何も思い出せない。
すると一ヶ月間優しかった先輩は豹変した。

 

「お前一ヶ月間何聞いてたんだ?」
「頭でわかんねえなら拳で教えるしかないか?」
「いい加減にしねえとお前殺すぞ」
「お前俺とケンカしてえんだろ?表出ろよやってやるよ」

 

趣味の筋トレでバッチバチに膨らんだ胸筋。
今にも弾け飛びそうになっているYシャツの第二ボタン。
ドスの利いた声とヤクザ顔負けの表情で睨みつけられながら毎日詰め寄られる。

 

僕はなんで言われたことができないクズなんだろう。
こんなに仕事ができない奴だったのか。
「何故仕事が出来ないのだろう」という自身への問いかけは仕事のやり方に問題があるとは考えられず、ひたすら自身の無能さを責めた。
気付いた時には「頭も要領も悪くて努力ができないクズなせいだからだ」と結論づけてしまっていた。

 

入社して3ヶ月経ったくらいから毎朝嗚咽をするようになった。朝起きると物凄く気持ち悪くて吐き気がする。
シャワーを浴びながらスッキリしようと嘔吐を促すのだが、胃袋に何も入っていないため出るものはない。
ただ気持ち悪いのは治らないので、ひらすら嗚咽が続く。
出発するギリギリまで会社に行くか葛藤し、結局勇気を振り絞って自転車に跨り出社した。

初めて手にした正社員というものを、簡単に手放すわけにはいかなかった。

 

「線路の上に身体を置けば会社に行かなくて済む」

毎日詰められながら、毎朝嗚咽が続いた。
ある日からこのストレスが急激に悪化する出来事があった。


その先輩の作業ミスで、お客さんの口座から引き落とされる金額が多くなってしまう事件が起きた。
もう思い出したくもないしあまり覚えてもいないけど、500件くらいだったかなあ。もっとあったかも。

その先輩の直属の部下という事だけで、お客さんに電話で謝罪するチームのリーダー的ポジションになってしまった。
当の本人は次月の作業があるからと、荷電するチームには参加しなかった。

リストを作成し、とにかく片っ端から謝罪の電話をしまくる。
次から気をつけてくださいねと優しい言葉を掛けてくださる方もいたが、やはり怒鳴り散らしてくる人もいた。まあ、当然だと思う。
そんな時はもうひたすら説明を繰り返して謝り続けるしかない。毎日毎日謝り続ける日が続いた。
僕が謝り続けるすぐ隣では、先輩がイライラしているのが電話中でもビンビンに伝わってきた。

電話を切った僕に睨みをきかせながら問いかける。

 

「なあ、これ俺が悪いのか?」
いや…そんな事は…。

 

「お前俺のせいで何で謝らなきゃいけないんだとか思ってんだろ?」
いや全然…先輩は悪くないっす…。(なんでわかるんだ…)

 

「あそう?全然そうは見えねえけど。もう一回聞くけど俺のせいじゃないよな?」
ハイ…。

 

「そんなくだらねえ仕事さっさと終わらせろよ」
ハイ…。


この頃くらいからだったろうか。通勤途中にある西武池袋線の踏切が気になり始めた。
大きな音を立て徐々に迫ってくる巨大な物体。目の前を高速で走り抜けていく時、
「ここに身体を置けば詰められずに済むのか」と思うようになった。

 

別に死にたいわけではない。死ぬのは怖い。美味しいものも食べたい。生きたい。
しかし会社には行きたくない。怒鳴られたくない。
楽になる選択肢のひとつに「電車に飛び込む」があっただけだ。


死を意識したことは一度もないが、とにかく怒られずに済むのかと思うと気持ちが揺らいでいるのを感じた。

 

この頃終業後ほぼ毎日、ハイキュー!!の単行本を数冊持って近所のダイニングバー「としません」に逃げ込んだ。

toshimasen-higashinagasaki.owst.jp


少し薄暗い店内に70年代風のジャズがかかり、海賊船を意識した内装や置物が並ぶ癒やしの空間だった。
お酒も料理も店員さんも、全てが癒やしだった。
そんな空間で周りなんか一切気にせず好きない酒を飲み好きな料理を食べ好きな漫画を読む。
自身の心のHPゲージが瀕死からほんのちょっとだけ回復するような気がしていた。
あそこに逃げ込んでいたのは、なんとか毎日を乗り切ろうとしていたからなのかもしれない。
分かりづらい表現だった。なんとか生きようとしていたから逃げ込んでいたのだと思う。

 

最後の辞める一ヶ月前には、毎朝の嗚咽に加えて激しい動悸が起こるようになった。
心臓がバクバクして苦しかった。

遂に会社にいけなくなった日は、動悸が激しすぎて息ができなくなり玄関で倒れ込んでしまった。
グシャグシャに泣きながら上司に出社できない旨を電話で伝え、2週間の休職後退職することになった。

 

逃げる事の大事さ

この時学んだのは、こんな状態になる前にとにかく逃げる事。
藤岡弘、さんがツイッターで呟いていたが正にその通りだと思う。

 

 


逃げないほうがいい場合もある。逃げ過ぎると逃げグセがつく。
でも死んでしまったら元も子もない。
身体に異変を来している人がいたら、今すぐその状況から逃げ出したほうがいい。
幸い僕は身体が一生懸命拒否反応を起こしてくれたお陰で線路に身を投げることなく済んだ。
たまに踏切で待っていると、あの時はあんな事を考えるまで追い込まれていたのかと、何とも不思議な気持ちになりながら電車が過ぎるのを眺めている。

 

逃げるが勝ち。

三十六計逃げるに如かず。

先人達も逃げてきた。
世の中の追い詰められている人が皆、逃げられる世の中になっていってほしい。

 

 

初めてお越しいただいた方、ここまでお読みくださりありがとうございます。
そして僕はこんな人間です。

是非この記事もお読みいただけたら嬉しいです。

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