こじらせ雑記

三十路チビデブ独身無職子供部屋おじさんはこれから人生をどう歩むのか。 好きな事、思った事をコンプレックスに乗せて吐き出します。

家の中にいたコウモリを退治した父と、理不尽な母と、母に向き合った姉の話。

家の中にコウモリ。

ほんのついさっきの出来事だ。

変な時間にお昼寝してしまい、空腹とともに19時頃目が覚め部屋を出た。
すると黒くてデカい飛翔体がバサバサバサッと廊下を駆け巡った。

 

蝶々や蛾にしてはデカすぎる。これは間違いない、コウモリだ。
家の中にコウモリがいる。思わずうぉああああああ!!!!と情けない声を出してしまった。

しかし腹は減っているのでひとまず二階から一階に逃げるように下り、夕飯を食べ始めた。
母は「ゴキブリくらいで騒ぎすぎ(笑)」とバカにするように嘲笑ってきた。
夕飯をもぐもぐしながら「いやコウモリがいた。」と冷静に伝えた。

母は慌てて

 

「コウモリ!!?アンタ何優雅にご飯なんか食べてんのよ!!どうにかしてきなさいよ!!」

 

いや無理。コウモリ退治なんかしたことないわ。今飯食ってるし。
まずなんで家の中にコウモリいるのよ。

 

母「ちょっと!!はっちゃん!!(父:八郎)コウモリ!!アンタ3階の物置網戸も開けてたでしょ!!」
父「・・・。」

 

犯人は恐らく父で間違いないだろう。都合が悪くなると黙る。
これがもし父でない場合は、父はスイッチが入り激昂する。実にわかりやすい。
母は母でこういう時すぐに犯人探しをし、責め立てる。母の嫌いなところの一つだ。

 

父は笑いながらホウキとチリトリを持ちコウモリ退治へと2階に上がっていった。
こういう時の父は潔くもあり、頼もしくもある。網戸も閉めず換気していたのはどうかと思うが。

 

母「ちょっと!!アンタいつまで食べてんのよ!!行きなさいよ!!男でしょ!!」

 

母はこういう時他人に八つ当たりする。
これも母の嫌いなところの一つだ。更に畳み掛けてくる。

 

母「もしかしてアンタが昨日夜帰ってきた時に入ってきたんじゃないの!!?」

 

んなわけねーだろ。

母はこういう時憶測でとんでもない事を言い出す。
これも母の嫌いなところの一つだ。

そしてそれが間違っていたと証明されても絶対に謝らない。
これも母の嫌いなところの一つだ。

母さんが行くなら俺も行くよ。皆で退治しようよ。ほら行こほら。

 

母「アタシは絶対無理。でもアンタは男だから行きなさい」


母はこういう時自分のことを棚に上げて人を責め立てる。
これも母の嫌いなところの一つだ。

今日は久しぶりに嫌いなコンボを畳み掛けるように綺麗に決めてきた。

 

そうこうしているうちに父が早々にコウモリをホウキで仕留めた。
コウモリってホウキで退治するのか…。初めて知った。


天上天下唯我独尊母

中学生・高校生の頃はいつも理不尽な母に納得できず、こちらも大声で応戦する事は多々あった。姉もそうだった。
姉は理不尽な母に言い負かされては部屋でよくすすり泣いていた。

 

我が家庭を振り返ると、なにか問題が起きた時話し合いで解決したことなど一度もない。
だいたいお互い気が済むまで怒鳴り合い、次の日は口を利かず2日後には何事もなかったように戻る。だいたいいつもこのパターンだ。
つまり、問題は何も解決していない。いつもなあなあで終わる。それが上田家だ。

 

これには明確な根本原因がある。
それは「母は絶対に譲歩しないし折れないし謝らない」という点だ。

いわゆる「退かぬ媚びぬ省みぬ」を地で貫き通す。ほぼサウザーだと言っていい。

 

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我が家の意思決定はほぼ母が下す。父はそれを全て黙って従う。時には言い争う事もあるが、いつも父が折れる。
何故なら上述した通り、母は最後の最後まで自分の主張を一切曲げず押し通すからだ。

父は長年の付き合いから、母には何を言っても通用しないのを身を以て理解し受け入れている。
例えそれがどんなに理不尽で理論的でなかったとしても、母は

 

「アタシの言うことは絶対に間違いない」


と本気で言う。
こうなってしまっては、もう話し合いで解決など出来ない。

 

全てを諦めた僕と、向き合った姉。

僕が高校2年生か3年生の頃だっただろうか。いつものように母に意味のわからない詰め方をされた時のことだ。
いつもなら激昂して言い争いに発展しそうなところだったが、頭の中で何かがフッと途切れたように


この人には何を言っても通用しない。

もう反論するのは辞めよう、頭を真っ白にしよう。


と思った。何を言い返しても無駄なのだから何もかも全て諦めて無視しようと、明確に頭のスイッチが切り替わったのをよく覚えている。
それまでも自分のことを家族に話すことはあまりなかったが、それよりも増して自分のことを家族に話すことはほぼなくなった。

 

そんな僕とは対象的に、姉は相変わらず母と衝突して怒鳴り合っては部屋に戻りすすり泣いていた。
そんな姉を見て、僕は「全部諦めればそんな気持ちにならずに済むのに」と、達観していた。

 

いつも衝突していた姉だったが、昔から家に戻ると母に「あんな事があった、こんな事があった」とよく報告していた。
あんなに喧嘩してたのによくそんな話ができるなと不思議だった。

 

そんな姉は両親の友人の紹介で素敵な旦那さんと出会い、家を出ていった。
そして姪っ子が生まれ、僕は叔父さんになり、両親はじいじとばあばになった。
両親は毎日楽しそうに姪っ子の動画を何回も見ては二人で微笑み、姉に姪っ子の面倒を見てほしいと言われた時も嬉しそうな笑顔でぶつくさ言いながら幸せそうに姪っ子の世話をしに行く。


今となって思うのは、姉は姉なりにそんな理不尽な母と向き合い、受け入れ、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしていたのだろう。
あんなに衝突していたのに、今では良好な関係を築いている。
姉は凄いなと思った。


僕には出来なかったし、未だに向き合う気にもならない。
そんな自分があまり好きではないのだが、でもやはり向き合う気にはなれない。

 

怒鳴り散らされながら食べた今日の晩御飯は油淋鶏だった。
母が作った油淋鶏は、ご飯をおかわりするくらい美味かった。

 

 

初めてお越しいただいた方、ここまでお読みくださりありがとうございます。
そして僕はこんな人間です。

是非この記事もお読みいただけたら嬉しいです。

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