こじらせ雑記

三十路チビデブ独身無職子供部屋おじさんはこれから人生をどう歩むのか。 好きな事、思った事をコンプレックスに乗せて吐き出します。

木村花さん、ごめんなさい。

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テラスハウス


恋愛リアリティ番組が嫌いだった。
演出ヤラセ台本ありきだろうし何よりキラキラした人達のキャピキャピした恋愛模様なんか見て何が楽しいんだと思った。
劣等感が募るだけだと。

南海キャンディーズ山里亮太さんが好きだ。
彼はテラスハウスのスタジオメンバーとして、彼らの行動にコメントをする。

彼は自身を「心の童貞」だと揶揄する。
彼が自身のコンプレックスを丸出しにして熱く語る嫌いな女性の話を聞くと、非常に強い共感を覚える。

女性に相手にされなかったり馬鹿にされた経験が攻撃性に転嫁し、
お高く留まって見える女性の一挙手一投足を拾い上げ、分析し、斬り捨てる。

恋愛経験の少ないいわゆる非モテ男子によくある傾向の一つだ。
馬鹿にされる前に相手を攻撃し、自身のメンタルを保つ。
彼のバックボーンを考えると、山里さんのそれはそこまで単純なものではないが、
とにかく恋愛に対していい思いをしてこなかった男性にとっては、正に心の代弁者であった。
僕もその一人だ。

そんな山里さんの考察に激しく共感し、美しい女性がバッサバサ斬り捨てられていく様は実に痛快だった。
こんな溜め込んだ負の感情を表に出してもいいのかと、少し救われたような感覚すらあった。

そんな山里さんを見て、いつの間にかテラスハウスにどっぷりとハマってしまった。
この番組の最大の魅力は、視聴者によって抱く感想が三者三様だという点だ。

わからなければとにかくググって正解を見つけてきた僕だが、
この番組の出演者の行動心理をググっても正解はみつからない。
それどころか多種多様な考察や意見に、答えが見つからない面白さも感じ始めていた。

 

●コスチューム事件


そんな中、番組内で「コスチューム事件」が起こる。
TVなどでも散々報道された、例の事件だ。

この回を放送日当日に観た僕は、木村花さんに対して強い嫌悪感を抱いた。
ツイッターテラスハウスを検索すると、彼女への批判の声が相次いでいた。
中には彼女のツイッターに直接文句をぶつける輩もいた。

そしてコロナ禍に入り、撮影は中断される。
正確にはコスチューム事件の放送日には既に撮影は中断されていた。
これが彼女にとって最も悲運であったと思う。

数日後、インスタグラムのストーリーズに木村花さんがリストカットしている画像や
「消えたい」と吐露している投稿があった。深く傷ついている彼女がいた。
それを見て自分は自業自得だと思った。彼女が深く傷つく姿を好奇な目で見ている自分がいた。

 

●最悪のタイミング

過去にも出演者がSNS上で執拗に叩かれる現象、いわゆる「炎上」が起こった事は多々あった。
今までは炎上が起こった時、本人達のすぐ側には生活を共にしているテラスハウスメンバーという最大の理解者がいた。
「一部だけ切り取られた様を見ただけで、貴女の何がわかるというのだ、気にするな」と、
直接面と向かって彼女を守ってあげられる存在がいなかった。

今回のケースは、誰も予期していなかった疫病により撮影が中断され、
彼女は一人ぼっちで数々の批判や誹謗中傷と向き合う形になってしまった。
想像を絶する程の苦しみだっただろう。
そんな苦しむ彼女を見て僕は蚊帳の外から面白がってただただ傍観していた。

 

●番組制作側の過度な煽り

彼女に追い打ちをかけるように、YouTubeに例の事件を再燃させる未公開映像がアップされてしまう。
これが彼女への決定的な一撃となり、死への引き金になったと思う。

現在削除されてしまい閲覧することはできないが、概要はこうだ。
女性メンバーの正義感の強い女性ビビが、例の事件を振り返り、このままでは花の為にならないと切り出す。
当時花は事件を起こしてしまった快が100%悪いと思っていた。
しかし正義感の強いビビは、こう話す。記憶が曖昧なので自分は下記のように解釈している。

 

もちろん快も悪いが、100%彼が悪い訳ではない。洗濯物を放置してしまった花にも悪い点はあった。
それを認めて、少しでも彼を許す気持ちがなければ貴女は人として成長することができない。

 

言葉尻は違うが、ビビの主張はそのような感じだったと思う。
それを聞いた花はそれを受け入れられず、号泣してしまう。
花はどうしても自分の非を受け入れる事ができなかったのだ。

このような内容の動画が公開され、一回目の炎上から下火になっていた炎は再び燃え上がった。
前回同様、もしくは上回るおびただしい批判や誹謗中傷が直接彼女に向けられた。

そして更に数日後、彼女は自ら命を絶ってしまった。

  

●訃報

 

一報を見た瞬間から、開いた口が塞がらなかった。
本当に口が開いたまま30分程固まってしまった。

 

訃報があった直後から口が開いたまま様々な記事を読み漁り、状況を把握した。
そしてツイッターに張り付いてひたすら様子を観察した。

 

訃報後のツイッターは目も当てられない状況だった。
山里さんを始め、スタジオメンバーへのバッシング。
木村花さんへ誹謗中傷を書き込んでいたアカウントを晒し上げ、
そのアカウントへお前が木村花を殺したんだと追い込む者。
次々と削除される彼女への過去の誹謗中傷コメント。
番組への批判も高まった。彼女が叩かれる様な演出、ヤラセ、台本などの報道。

 

まさに負の連鎖が起こっていた。
その行いが彼女を殺したのだと何故わからないのか。そう思いながらまた傍から眺めていた。
自分は当事者ではない、ただの傍観者だ。心にそう言い聞かせながら様々な人の意見や記事を読み漁った。

 


●誹謗中傷に反論できなかった

 

「傷ついたのは否定できなかったから」
彼女が命を絶つ直前、SNSに投稿した言葉。これが全てを物語っているように思う。
あのシーンがもし演出だったとしても、こういうセリフを言いなさい。と言う具体的な指示は無かっただろう。


あの時彼女が激昂し、快に向けた言葉は紛れもなく彼女の感情であり、本心だったと思う。
だからこそ中傷を否定できなかった。
あれは演出だったんだ。本当の私ではなかったんだと否定できなかった。

「命より大切なコスチュームを洗濯機に放置したお前の命はそんなものか」
「消えろ」

という言葉に対し、納得してしまった。私は消えるべき人間なんだと思ってしまった。
100%快が悪いと思い、自分を棚に上げ彼を責め立てた私はなんて愚かなんだ、
私は消えるべき人間なんだと思ってしまったのではないか。

 


●振り返る


様々な意見がある中で、今回の事件について振り返る。

諸悪の根源は本人に直接誹謗中傷を送りつける人である事は間違いないと思う。
報道番組ではコメンテーターが「何故人の気持ちが考えられないのか理解できない」
としきりに言っていたように思う。しかしそれは少し的はずれな気がする。
彼らが厄介なところは、「どうすれば彼女を深く傷つける事ができるだろうか」
という事をよく考えた上で発言している点だ。
一部の心ない人達が誹謗中傷をしてしまうことを止める術は、この世には存在しないと思う。

 

そして番組側の責任は2点あった。
・いわゆる炎上商法のような、木村花さんへのヘイトを過度に煽り立てるような編集をした点
・出演者へのメンタルケアを怠っていた点


●傍観者

僕は中学生の頃から2ちゃんねるに入り浸り、ググレカスを実践してきた。
もう一つ、2ちゃんねる用語にこんな言葉がある。

 

半年ROMってろ

 

90年代から用いられてきた、ネットの真理を突く由緒正しき箴言
ROMとは『Read Only Member:閲覧だけしているユーザ』の意。
掲示板などネット上のコミュニティにおいて、空気を読めない/読まない者や、
少し前のレスすら読まない者、基本的情報すら自分で調べない者(主に初心者)などが書き込みをした際に、
「その場の状況や空気を読んだ書き込みが出来るようになるまでは書き込まず、ROMを勧める」という意味合いで使われる。

 

この半年ROMってろを十数年継続し続けている。ROMり続けている。
自分の意見を公人に直接ぶつけた事は一度もない。

 

心ない誹謗中傷を本人に直接ぶつけていた輩が圧倒的に悪いと思いながらも、

彼女の訃報を目の当たりにした時、自分は当事者ではなくただの傍観者だと何度も言い聞かせた。

 

だが自分も彼女を死に追いやった当事者の一人なのではないかという思いが拭えなかった。

自分の意見を発信せずに、安全な場所から人が苦しむ様を面白がって見ているのは卑怯なのではないかと思った。


一部の心ない人達が誹謗中傷をしてしまうことを止める術は、この世には存在しないと思う。

僕もブログを続けていれば、そんな人達に中傷される事もあるかもしれない。


批判と誹謗中傷をしっかり見極め、愛ある批判は甘んじて受け入れ、
心ない誹謗中傷には毅然とした態度でいられる精神力を持っていたい。


もし僕が心が折れそうになってるなと察した時は、飲みにでも行こうと誘ってほしい。

 

●ごめんなさい。


木村花さん、あなたが傷つく姿を見て面白がってただ見ていたことをどうか許してほしい。
本当にごめんなさい。

 

どうか安らかにお眠りください。

ご冥福をお祈り致します。